幸せの中にあるもの
こんにちは。
ライフコンサルタントの伊藤峻です。
本日は『幸せの中にあるもの』について書いていこうと思います。
あなたは『幸せ』と聴いた時にどういった幸せを思い浮かべますか?
お金があり、自分が欲しい物をすべて購入できることでしょうか。
時間があり、自分の好きなことに時間を費やせる事でしょうか。
外見を美しく保ち、清潔な身なりを整えることでしょうか。
毎日の食事を健康な体で味わい、楽しむことが出来ることでしょうか。
大切な人と共に価値のある時間を過ごすことでしょうか。
大切な家族と共に笑いあい、安心しあえる空間に居ることでしょうか。
自らの能力を高め、出来ることを多く増やしていくことでしょうか。
そのどれもが私達人間が幸せと感じることの1つかも知れません。
幸せとは人の数だけあるのもまた事実かも知れません。
幸せの中には大きく分けて3つ満たされるものがあります。
幸せの中には、『自由を尊重する意志』『自分と他者に対する尊重』『等身大のあなたを認める肯定感』があります。
幸せの中には自由を尊重する意志がある
幸せの中には自由を尊重する意志が存在しています。理由は、幸せな状態とは誰かから支配されたり、強制させる状態ではなく、あなた個人が選択する事を自由に選ぶことが出来る状態だからです。それを、『自由意志』と呼びます。
それでは、『自由意志』があれば何でも好き勝手にやることが幸せなのでしょうか?
いいえ、『自由意志』の中には人間としての責任と他者に配慮をする『慈愛の心』が存在しています。
例えば、私達がご飯を食べる時、まず食事を作るか、それとも他で食べに行くのかを選択する自由があります。そして、ご飯を作る側は、今日は疲れたからご飯を作らないという自由があります。
しかし、『家に帰るとご飯がある』ということが『当たり前』になっている方も一定数いるかもしれません。そして家に帰ってもご飯がないと『怒る』という感情を持ってしまう方もおられるかも知れません。
その『怒り』が生まれている状況を『幸せ』と捉える方は、少ないでしょう。
なぜなら、そこには『自由意志』が存在していないからです。
『自由意志』とは、あなたが取る言動1つ1つをあなた自身が選ぶ自由がある状態を指します。
ですから、疲れているのであれば休む自由があり、やる気がないのであればやらない自由があり、そしてご飯を作りたくないのであれば、作らない自由が存在しています。
それでは、なぜ幸せの中にある『自由意志』が存在していない状況ができあがり、それは一体どうゆう風に解消していけば良いのでしょうか?
それは、次の章から説明していきましょう。
幸せの中には自分と他者に対する尊重がある
幸せの中には自分と他者に対する尊重が含まれています。理由は、自分も含め、人間を1人の尊重するべき大切な人だという事を理解していなければ、相手に過度な期待をして、相手にやってもらおうとする『Needyな心』生まれてしまうからです。
■あなたの人生を掻き乱すNeedinessとNeedy People
こちらの記事で『Needyな心』とはどういった状態であり、Needyになるとなぜいけないのかという事を記載しています。
『Needyな心』とは他人が持っていものを自分のモノにしようという、他の誰かが持っている物を奪いコントロールしようという気持ちが含まれています。
そしてそれは人間が持つ『嫉妬心』や『妬み』や『怒り』といったネガティブな感情を誘発してしまう傾向にあります。
例えば、
相手から愛される様な言葉を常に求めてしまい、相手が心に余裕がない状態なのにも関わらず、相手がやってくれないという事に腹を立て、相手を尊重しない雑なコミニュケーションをしてしまったり、
家に帰るとご飯があることが当然という事を期待し、相手の体と心の困憊度を無視して、思い通りにならない事を行った相手に対して怒りの感情をぶつけてしまったり、
そのような、せっかく大切に育ててきた人間関係を台無しにするような言動をしてしまいます。
幸せの中には、どんな時であっても自分と他者に対する尊重を忘れず、礼節を持って自分と相手に対し適切なコミニュケーションを取っていく事が含まれています。
例えば、
相手から愛される様な言動を相手に対して求めるのであれば、まずやるべきことは相手の心に寄り添う愛のあるコミニュケーションを自ら一貫して取り続け、相手を尊重する丁寧なコミニュケーションを続けなければいけません。
家に帰るとご飯があることは当然だという期待を手放し、相手の心と体が困憊していないかを心配し、相手を労りたい気持ちを持ち、相手の気と体が楽になるように今回は取り寄せるか、何処かに食べこうと冷静な判断をし続けていくことかも知れません。
私達人間の心は機械ではありませんので、疲れる時はとことん疲れます。そして人間は頑張り屋さんなので、疲れている事に気がついてないケースも多く見受けられます。
もしもあなたが疲れ果ててしまった時、あなたはあなたを大切にする必要があります。あなたの体を癒やす栄養素をしっかりと補給し、そして同時にあなたの心を癒やす『心の栄養素』を補給しなくてはいけません。
ですので、幸せの中には、自分と他者を尊重することが含まれています。
情報が多くなってきましたのでまとめると、
1.幸せの中には『あなたの言動をあなたが選ぶ事ができる自由意志』が存在している
2.幸せの中には『自分と他者を尊重するコミニュケーションをすること』が存在している
という事です。
それでは最後に、幸せの中に存在している『等身大のあなたを認める肯定感』について書いていこうと思います。
幸せの中には等身大のあなたを認める肯定感がある
幸せの中には等身大のあなたを認める肯定感が含まれています。理由は、等身大のあなたをあなた自身が認める事が出来なければ、等身大の他者の心と想い、そして置かれている環境を等身大で受け止める事が出来ないからです。
それは、私達が持つ『驕り高ぶり』『プライド』『侮蔑』などネガティブな感情を持つ要因になる事に繋がるからです。
昔の時代では、『スポ根魂』や『ど根性魂』が横行し、体育会系の社会が構築されていきました。
『やれば出来る、やらないお前はろくでなしだ』『周りは出来るのに出来ないお前は根性が足りない』などと、等身大の相手を否定し、マウントを取り侮蔑する言葉も多く見かけました。
『やっても出来ない事は、やっても出来ない。』
簡単な文章です。
『やっても出来ない事は、出来ないんです。』
20文字以下の短い文章です。
相手の言動を尊重せずに否定し、周囲が出来ることをあなたに強要する所に、幸せはありません。それは、支配であり管理であり、搾取する略奪行為です。
私達人間は誰しも他の人と違うように作られています。それは、私達人間は誰しも得意な事と不得意なことを持って生まれてくることを定められているからです。
そして、あなただけに授けられた能力を活かしたいと思うのも、幸せの中にある『自由意志』であり、『あなたを尊重する事』です。
等身大のあなたで良いんです。
出来ないことは、無理にやらなくてもいいのです。
周りに合わせずとも、あなたが出来る事をあなたのやり方でやり続ければ良いのです。
それが幸せの中にあり、愛情の中にあり、慈愛の心の中にあります。
ですが、ここで1つ明確にして置かなければいけない事があります。
幸せとは、楽な方向に生きるということではないということです。
幸せとは、辛く、厳しい毎日を意志を持って戦い抜いた先にあるものです。
そして、幸せを手に入れるためには、あなたは自分自身の愚かさと醜さに立ち返り、間違った思考を1つ1つ紐解き、やりたくないという気持ちに、現実で立ち向かい続けなければいけません。
そして、幸せを手にいれる為には、長い年月が掛かるという事も、また事実です。
幸せになることは、愛情を持ち続け、与え続ける親の愛と同等なくらい大変な事です。
等身大のあなたをあなた自身が許し、認め、そしてあなたが出来ることをあなたのやり方で示し続ける事が、幸せの中に居る為に必要な事です。
もしもあなたが幸せの中にいないのであれば、私もまた幸せになる為の旅をしている人の1人ですので、共に励まし、頑張っていきましょう。
それではまた、お会いしましょう。