正しい愛情の受け取り方

こんにちは。

ライフコンサルタントの伊藤峻です。

本日は『正しい愛情の受け取り方』について書いていこうと思います。

皆さんは『愛情』という言葉を聞いた時、一体どの様な事を思い浮かべますか?

好きというポジティブな感情だったり、

相手の慈しみ幸せを願う事を思い浮かべたり、

相手の為に何かをしてあげたいともう感情が出てきたり、

相手の喜ぶ顔が見たいという期待の感情が出てきたり、

相手を助けてあげたいという喜ばしい感情が出てきたり、

相手の成長を待つためにわざと辛い選択をしなければ行けなかったり

その様な事を思い浮かべるのではないでしょうか?

そのどれもが愛情に結びつく感情の1つです。

既にお解りの通り、『愛情』とは相手の幸せを願う、相手ありきの感情です。

そして、その『愛情』を感じる器官を持ち、私達人間は愛情に立ち返らなければいけない様に生まれてきてしまったのが、私達人間という動物です。

その証拠に、世の中では『真実の愛』を探すために躍起になっている方々を多く見かけます。

恋愛ドラマや恋愛映画がここまで発展しているのも、一重に私達人間はだれしも心の奥底から『愛情』を探し求めているからです。

『愛されたい』という気持ちは、私達人間が持つ『慈愛の心』からきています。

しかしながら私達は同時に、『ずる賢い利己的な側面』も併せ持って生まれてきてしまった事も、事実です。

そんな、『愛に飢えた自己中心的な側面を持つ』かもしれない私達人間ですが、一体どうしたら『真実の愛』を見つけ、正しく愛情を受け取ることが出来るのでしょうか?

現代では、私達人間に本来備わっている『慈愛の心』を傷つけ、歪んだ愛にのめり込ませ、私達1人1人の全てを、自分達だけにとって都合の良いようにコントロールしよういう悪意を持った人達がいます。

その上、『愛情』が何かを正しく受け取らず、歪んだ愛によって育ってきてしまった方々も、大勢見かける時代になっています。

ですので、私達は『愛情とは何か』『愛情とはどう受け取るのか』『愛情とはどう示していくのか』これを知らなければ、本当の意味で救われる事はありません。

もしもあなたの日々に救いがなく、あなたの『慈愛の心』が疲れ果て、おひとりで辛い思いをされているのであれば、どうぞ、愛とは何かを知り、知識を深め、あなたが居る現実で探し求めて下さい。

あなたの日々が照らされ、『慈愛の心』が満たされ、心の平安が保たれた日々を1人でも多くの人が満喫できる事が、私の願いです。

愛情とは何か

『愛情』とは一体何か、皆さんは考えた事がありますか?

『愛情』というたった2文字の言葉なのに、私達は未だに多くの謎や疑問を感じて『真実の愛は本当にあるのか』『愛は存在しない』と不安と疑念に苛まれているのではないでしょうか。

『愛情』とは、相手から見返りを求めず、相手の幸せを願い、粘り強く与え続ける『忍耐力』であり『現実的な行動』です。

『そんなものありえない』『全てはギブアンドテイクだ』『見返りのない愛なんて存在しない』そう疑念に駆られる方も多くいることでしょう。

現代では『愛を知らない』『愛を失っている』『愛されない』状態が続いているため、『愛』について理解を深めることが出来ないことも、疑ってしまう事もあるでしょう。

私は『愛』の話をする際に2つ、真実をお話しなければいけません。

1つは、『真実の愛』は親から分け与えて貰い、学んでいく知識であるということ

1つは、『真実の愛』は神様から受け取る事が出来ること

という事です。

『真実の愛』とは、相手から見返りを求めず、相手の幸せを願い、粘り強く与え続ける『忍耐力』であり『現実的な行動』です。

口だけ『愛している』と言った所で、現実で愛を示す行動をしていないのであれば、それは愛しているということではありません

そして、無償で何も受け取らず、何十年と、『無力な子供』を立派に育て上げることは『愛情』がなければ出来ません。『真実の愛』とは、親が我が子に注ぐ穏やかでも揺るぎない確固たる愛です。

現在では多くの悪意に飲まれ、愛を十分に貰い『慈愛の心』が成長しないまま子供を作ってしまった親が一定数居るため、現代の子供もまた十分に『慈愛の心』が成長しない状態が続いています。

本来であれば、親は子供を守るために必死で忍耐し、愛情を与え続け、時に励まし、時に苦悩を分かち合い、人生の中で限られた時間を共にする大切な家族として構築されるべきです。

しかし、現代では人生に取って、大切な宝物である、『家族』が機能していないご家庭があるのも、また事実です。

それでは、愛情を十分に与えられず、『慈愛の心』が育たなかった方は、一体何処から愛情を学べば良いのでしょうか?

それは、愛情の塊である『神様』から教えていただき、授かるという事です。

そして、世の中にはそれを必死で阻止しようと、意図的に偶像崇拝にのめり込む様な策略を寝回したり、人間が神様の座を奪い、自ら神になろうとして居る方々も多く見られる現状になってきました。

そして、この宗教戦争というものは、私が生まれる遥か何千年前から、人類が繰り返してきた罪の歴史の1つです。

若輩者の私がどうこう出来ることではありません。各自各々、真実を確かめて貰えればと思います。

ただ私が人生をかけて考え抜いた真実を話させて頂くと、『神様は昔にも今にもたったお一方』という事です。

そして、『神様は私達人間の事を支配せず、見守り、絶えず愛情を与えてくださっている、人道的なお方』です。

そして、そんな人道的で慈悲深い方から『深い愛情』を授かった方の多くは、人を助け、共に支え合い、相手を尊重し、相手の話を親身に聞き、おつらいことがあれば共に心を痛め、あなたが現実で愛情を受け取る事が出来るように忍耐強く手助けをしている方を多く見かけます。

そして、その方々の胸の中には確かに、『慈愛の心』と儚くとも強く輝く『灯火』が灯されています。私個人としては、感服するほか言い表せる表現を持ち合わせておりません。

そして、相手を支配すること、相手の言動を管理すること、相手を否定すること、相手を蔑むこと、相手を憎むこと、相手をなじること、相手をあざ笑うこと、そんな事は『愛ではありません』

『君のためを思って言っているんだ。』と言いながら本当は自分が都合のいいようにコントロールする方向に誘導していたり、

『君の事を愛している』と言いつつ愛を示す行動を何一つ行っていなかったり、

相手の事を思うフリをして、現実を変えるための行動をしないのも、また人間が持つ悪い側面です。

『愛情』とは、忍耐力であり、現実で行動し続ける事です。

『愛情』とは、親が子に伝え続ける事ができる、私達人間誰しもが持つ『慈愛の心』を育てる事が出来る宝物です。

『愛情』とは、神様が私達に与え続けてくれており、そしてそれは私達の『慈愛の心』を満たすことが出来る唯一無二のものです。

愛情とはどう受け取るのか

愛情を正しく受け取るには、まず『愛情が何かという』真実に立ち返り、そしてそれを受け取る為の『素直な心』が必要です。

一言でいうと、『真実を見抜く冷静な頭』と、『素直に愛情を受け取ることが出来る心』が必要です。

例えば、あなたがもし愛情が何かを知らなければ、歪んだ愛情を愛情だと勘違いして終い、それがあなたの『慈愛の心』を深く傷つける結果に繋がるかも知れません。

例えば、あなたがもし素直に愛情を受け取ることが出来る心がなかったのであれば、あなたの心から見たらこの世全ての事が『偽りの愛』に見えてしまうかもしれません。

愛情を受け取るにはもう一つ、私達誰しもが出来る簡単な事があります。

それは、どんな事があっても『感謝をし続ける』という事です。

精神論かと思われますが、私達人間という生き物にとって、これも1つ理にかなっていることなのです。

私達の脳内では、ポジティブであろうが、ネガティブなことであろうが、比率が多く考えている事を叶えるという能力が備わっています。

これを心理学では『引き寄せの法則』と呼んでいたりします。

ですので、感謝をし続ける事を続けることで、私達の脳内にはポジティブな感情が残り、そして素直に感謝することが習慣化出来れば、愛情も素直に受け取ることが出来るようになる仕組みです。

私の好きなほんの中に『Thomas Kinkade』さんが執筆されている『The Book of Joy』という本があります。

そしてその中の1つのパッセージに感謝し続けること、希望を持ち続けることのヒントになるメッセージが隠されていますので、この場を借りて共有させて頂きます。

Everyday joys around. 

(毎日に喜びがあります。)

It is a matter of perspective. 

(毎日の喜びが見えるかは、見え方の問題です。)

For every trial there is a joy. 

(全ての挑戦に、喜びがあります。)

For every loss there is a gain. 

(全ての失いに、成長があります。)

Finding the benefits to typical challenges brights to focus the beauty of daily life.

(チャレンジに利点を見つけ出すのは、あなたの毎日の日々を美しく照らします。)

It is as simple as keeping what i call a joy journal, jotting down the small gifts of being alive. 

喜びのジャーナルと言われる、今この瞬間を生きている喜びと小さな宝物を書き室し続けるシンプルな事を続ける事です。)

The scent of a fresh breeze. 

(新鮮な空気の感覚。)

The handshake of a friend. 

(友人との握手。)

Sounds and rights. 

(音と光。)

Aromas and textures.

(匂いや肌触り。) 

Life is a ground blessing, but it’s one that is carefully made of tiny and simple joys. 

(人生は祝福に満ちあふれていますが、それらは小さくもシンプルな喜びの集まりで造られています。)

Just like a mural, it’s pieces together stroke by stroke with the light and dark elements living together (one is never found without the other). 

(それはちょうど壁画のように、光と闇の要素が共存し、一筆一筆つながった作品のようです。(一方が存在しないともう一方が存在することはありません)。

A book of Joy inspires us to open our eyes and hearts to these tiny but tangible building blocks that can create a world of celebration and a life of possibilities.

(喜びの本は私達の目と心を開き、小さくも強固な祝福された世界と、人生の可能性を生み出すことが出来ます。)

-Thomas Kinkade – the book of joy –

愛情を正しく見極め、受け取り続けていくことは、私達が持つ見方をポジティブに変え、世界がどうしてこんなにも祝福されているのかに気がつく必要があります。

そして、その1つ1つ、1人1人に与えられた時に『感謝し続ける素直な心』が、愛情を正しく受け取る為に必要なことの1つです。

そして、正しい愛情に気がつくということで、私達の脳ではポジティブな感情を多く留め、希望が生まれて来るのです。

私は、私自身も含め、1人でも多くの人が心の平安を構築し、この祝福された世界とあなただけの人生を満喫してしていって欲しいと、切に願っている人の1人です。

愛情とはどう示していくのか

愛情を示すというのは、とても辛く長い旅です。なぜならば、現代では様々な形の偶像崇拝が横行し、本来私達だれしもが持つ『慈愛の心』を育てず、愛に満たされない状況が続いている為です。

愛情を示してく為には、2つの方法があります。

それは、

1.正しい愛情を継続して、現実的な行動で一貫して示し続ける

2.相手と適切に心が通じあう、愛のあるコミニュケーションを一貫して示し続ける

残念ながら、この2つしかありません。

世の中では、

『お金をかけることが愛情の1つだ』

『物を買い与える事が愛情表現の1種だ』

『ブランド物を買い与えるのが愛情表現の1種だ』

『相手が間違った道を選ばないように相手の為に注意するのが愛情表現の1種だ』

『溺れるほどのセックスをするのが愛情表現の1種だ』

と誤解されている方も多く見かけますが、それは偽りの愛情かも知れません。

事実として、そんな事をいくらやってもその方の心は満たされず、また別の『偽りの愛情』で埋められない心を埋め始めるという事をやり続けるからです。

『愛情』とは、私達人間が持つ『慈愛の心』を深く精神的に満たすことが出来る事です。

『愛情』とは、あなたの幸せと笑顔を守り、そしてあなたの為に無償で提供されるものです。

『愛情』とは、お互いに信頼する気持ちがあり、お互いが持つ『慈愛の心』を満たすことが出来る会話であり、現実的な行動であり、嘘偽りがないものです。

『愛情』とは、生きているものからしか受け取る事が出来ず、育むことが出来ない宝物です。

『愛情』とは、神様から人に、人から人に、人から動物に伝えられる宝物です。

ですから、『愛情』はモノから来ることはなく、損得勘定の関係から来るものではなく、必要としている状態で来るものではなく、むしろ、与え続けることで得られる事です。

これは英語では『Need/ニード』『Want/ウォント』でしばしば取り上げられる事です。

『愛を必要としている状態』(Needの状態)なのか、『愛を与えたい状態』(Wantの状態)なのか、で話が出てくるトピックです。

Needの状態とは、生きるための必要な事を他人に求めている状態のことを指し、Wantの状態では相手から生きるために必要な事は求めずとも、あなたに対して与えたいという意志からきています。

ですから、愛情とはWantの状態で示していなくてはいけないことであり、私が1人で生きていく上であなたに依存することはありませんが、私は私の愛情をあなたに示し続けたいという意志があります。

という状態が、愛情を示すことが出来る状態です。

あなたは愛する人と、適切に心が通じ合う、愛のあるコミニュケーションを一貫して示し続けていますか?

あなたは愛する人と正しい愛情を育むために、現実的な行動を一貫して行い続けていますか?

『愛情』はたった2文字であっても、私達誰しもが持ち合わせている『慈愛の心』を本当の意味で満たしていくには、必要不可欠な『心の栄養素』です。

私達の心は、それほど強くはありません。

私達の心は、現実で意図的に造られたモノで動くわけではありません。

私達の心は、『愛情』で動きます。

私達の心が『愛情』で動くのは、私達人間が他の動物が持ち得ない『慈愛の心』を持って生まれてきたからです。

世の中は綺麗事では回りません。しかし、『愛情』がなければ私達の心は荒み、疲れ果ててしまうこともまた事実です。

ですから、愛情とは何かを知り、愛情を示す行動を一貫して行うことができ、相手の痛みにいち早く気が付き、お互いに助け合い、支え合って行ける未来が来ることを、切に願っています。

まだまだこれから日々は続きますが、皆さんの健康と心の平安が守られ、愛に満ち溢れた現実を満喫出来る事を祈っています。

それではまた、お会いしましょう。

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